園長コラム

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ある夏休みの前に

"人生の習慣"

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西嶋園長

ながい休みに入る前に、皆さんに話す機会がとれなかったので、お手紙にしました。
夏休みの間は園生活を中心とした生活から、それぞれの家庭の時間の過ごし方への変わりますので、こんな事に気を付けたらと思うことなどを書いておきたいと思います。お父さん、お母さんともに読んで、いっしょに考えていただければ幸いです。

ときどきお弁当の時にはしを忘れて、”お母さんが入れ忘れた”と怒る子がいます。
同じ仲間のある牧師・園長のコラムに「お弁当を作るのはお母さんの仕事だけれど、はしが入っているか確かめてかばんに入れて持ってくるのはあなたの仕事ですよ」と子どもに伝えていたことが書いてありましたが、私も同感です。

私も門のところでよく「自分のかばんは自分でかけておいで、あなたのお弁当が入っているんでしょ」などと言いますが、あまり良い顔をされないこともあります。でも、何気ないことのように思えますが、自分のことは自分で責任を担っていくという姿勢を持つことが必要です。(例の「自己責任論」とは別のものです。

何もかも親が整えてしまうよりも、子どもが自分でできることを見つけ、自立していけるように支えることが大切です。大げさだと思われるかも知れませんが、そんな日々の習慣が、子どもの人生の核となり”人生の習慣”をかたちづくっていきます。何でも親や周囲の者が整えてくれる中で育つと、自分の失敗や何かうまくいかないことを、すべて他人のせいにしてしまうようになります。

思春期の頃になって自分の境遇や能力を自分自身が受け入れられず、不満のはけ口としていわゆる問題行動をしてしまう子どももあります。
青少年期カウンセラーの話を聞くと、その親の多くは「ずっと子どもたちのために尽くし、子どもの気に入るようにしてきたのに・・・」と言うのです。どんな些細なことでも、自分にゆだねられたことをやり遂げたなら、子どもの心の内に”誇り”が芽生えます。
そんな日常の積み重ねをとおして、自分の人生に誇りと喜びを見いだせるように成長していって欲しいと願っています。

きのう、門のところの桜の木にニイニイゼミが見事な擬態をし、とまっていました。いっしょに観られた方もあります。
最初は視界に入っているのに木肌に紛れて見えませんでしたが、良く見るとだんだんセミが浮き上がり見えてきます。ものを観る力は、いろいろな生(ナマ)のものを体全体で体験する中で、次第に鍛えられ身についていくのです。
小さなセミ一匹の命を感じ取る。それは、大きくなって絵画や演劇や映画など、観ることを通じて表現される芸術に感動したり、それによって生きる力を得ることへもつながる、はじめの一歩です。ある人が”全ての芸術は自然の模倣である”と言っていますが・・・・。

また今日、心痛む子どもの事件が多発し、”心の教育”や”命の教育”が盛んに言われています。しかし実際は心や命を「教える」ことはできません。身近な人との関わりや、命あるものの存在を体で「感じ取る」ことでしか身につかないものです。
夏休みはそんなことを子どもと共に体験するとても良い機会です。やたらと説明したり教えようとしないで、黙って小さな命や生きている時間を感じ取る時を持って欲しいと思います。

そんなことに、ぜひお父さんたちがしっかりと関わって欲しいと思います。お金をかけてどこかへ連れて行ったり高価なおもちゃを買い与えることよりも、お父さんと何気ない時間を共に過ごしたことの方が、ずっと子どもの心に残ります。たとえば川のほとりをいっしょに散歩して沈む夕日をみたり、河原で石を拾ったり、カニの穴を覗いてみてください。また何人か子どものいる人も、それぞれと一対一で向き合う時間を大切にしてください。

おわりに、夏の暑い日が続き、ずっと家にいるとテレビを見る機会も多くなると思いますが、どうぞテレビやビデオの子育てにならないよう気を付けてお過ごしください。また学習ビデオのたぐいで教えるよりも、身近な人の生きた言葉で心を伝えて欲しいと思います。
CDの歌よりも、親子で歌って声を響かせあうことの方が大切です。電子機器が育てた、人を信頼することのできない”機械的人間”にならないように、心が通じ合う人に育ってほしいと願っています。

では、夏休みがおやこ共々豊かで有意義な時間となりますように祈りつつ。